平和が続くように祈る
大阪城は大阪市内で唯一の高台にある。大阪市発祥の地と言われている。
古代難波の宮が造営され、700年後大坂本願寺(石山本願寺)が建立された。寺内町として繁栄したが、信長との合戦後全焼してしまった。
初代大坂城の築城に秀吉は15年費やし、その17年後には夏の陣で焼亡した。
二代目大坂城を修築した徳川は、豊臣色を払拭しようと、城跡を地中深く埋め込んだ。修築完成後36年で、天守閣に落雷し焼失。その後大坂城は266年間石垣だけで天守閣のない状態になる。
三代目昭和大阪城は、一般市民の寄付で復興させた。しかし1931年市民の力で完成した城は、軍関係の施設に囲まれていて、一般市民は立ち入り禁止。
第二次大戦中に米軍の大空襲をうけ、多くの矢倉や門が焼失。天守閣にも
1トン爆弾が2発も掠めたが、市民の祈りが天に通じたか、生き残る。敗戦後、城は米軍に接収され、またまた一般市民は立ち入り禁止。1948年に米軍から返還されて、やっと市民の手に戻る。
本願寺大火災を始め、度々の火災に見舞われた城で、野鳥達はどうして
いたのだろう。スズメ・カラス・モズ・伝書鳩・堀にはカモ・サギ・カワセミがいたかな?昭和30年頃に第?回メーデーの集合地、森之宮公園に行った。植林したての弱弱しい疎林だった。渡り途中の夏鳥たちには魅力なしだったろうし、人間どもも、食べられる鳥しか目に入らなかった時代だ。 あれから半世紀焼け焦げた鉄骨の砲兵工廠跡地が、緑濃い森林公園に変貌して、野鳥と人間のオアシスになった。もう二度と空襲の恐ろしさを体験したくない。八月は原爆投下・敗戦の日を迎える。何百万の戦争犠牲者の霊に、黙祷を捧げよう。加害国は忘れる事を望むだろうが、私は何年経っても、戦争の恐ろしさ悲惨さを忘れないよ。
熱中症を恐れ、酷暑の大阪城鳥見は涼しくなるまで休む。
渡邉武著の大阪城歴史散策を読みながら、秋の渡りを待つことにする。