野鳥も人も地球の仲間
大阪城公園は広大な軍需工場の跡地に作られた。
終戦前日の 1945年8月14日にアメリカ軍の大空襲を受けて工場は壊滅した。
戦後 私は跡地の真中を通る城東線(今は環状線)に乗って13年間通学・通勤をした。
ぐにゃりと曲がった鉄骨や爆弾跡を朝夕眺めて、同年輩の女学生は何人か犠牲になられ、さぞ怖かっただろうな、と冥福を祈っていた。
西成線、安治川口の軍需工場に動員されて、同じような空襲体験をしたのに幸運にも私は生かされたのだ・・・。
その後ゆっくり残骸整理がすすみ、新たな盛り土の上に幼い木々が植えられた。
その頃野鳥は貴重な蛋白質だと、人々は食べ物として見ていた。
か細い木々が根付き始め、立ち寄ってくれた野鳥達を、地球の仲間としていとおしむのは、衣食が足りるようになってからの話になる。散歩で大阪城に通ううちに出会う野鳥の仕草が可愛くて、もっと知りたいと86-0020303番の野鳥会員になった。それからお決まりの、大阪城では見られない珍鳥の追っかけを始めた。
沖縄・九州・四国・中国・近畿・中部・北海道・ついにシンガポールまで出かけた。
その時同行の鳥仲間は、ポツリ・ポツリと昇天されて天国の極楽鳥と遊んでおられる。その人たちに昨年の大阪城には、ツミ・カンムリカイツブリ・トモエガモ・ミコアイサ・アカショウビンと、珍鳥たちが次々と立ち寄ってくれたのよと、教えて上げたい。オオバン・オカヨシガモ・ヨシガモが集合する姿は吃驚されるだろう。
私が鳥見を始めた頃に憧れた珍鳥たちが、大阪城公園で飛び回っている。
ひょろひょろの幼い木々が大樹に育ち、野鳥達の格好の隠れ場所を提供している。
この緑濃い大阪城公園を、経済戦争で破壊され無いようにしっかり見守りましょう。
戦争は嫌・否・厭。平和で野鳥達も安心して子育てできますように祈ります。