ホームへリンク

大阪城公園鳥だよりって何にリンク読み物コーナースタッフからへリンク大阪城公園の野鳥へリンク大阪城公園探鳥案内へリンク大阪城公園の蝶へリンク大阪城公園の四季へリンクリンクページへリンク

読み物コーナータイトル

巻頭言

ゆきちゃんの探鳥絵日記にリンク
れいこの落書きへリンク鳥バカ夫婦の二人言へリンク探鳥は楽し、探蝶も楽しにリンクお便りコーナーへリンク

タイトル80 自己紹介へ

ありがとう。さようなら。そして・・

20年ほど前の事。京都の深泥池に出かけた。五山の送り火妙法の近くの山裾である。
病院の駐車場に無断駐車し、裏手の柵から出ると小山に沿った道がある。道といっても細い通路で通る人もいない。やがて少し開けて池に注ぐ小さな流れに出る。
美しいルリビタキを見つけカメラの準備をする。愛知県の汐川干潟で知り合った人から、大学生当時ここで赤い鳥をよく見たと聞き出かけて来たのだ。
しばらくすると男が現れた。年のころは60代か70代か。男は持参のミカンを勧める。
池の上を飛ぶタカを見つけた私は、興奮気味に白っぽく見えたと話すと「オオタカだろう最近よく見る」と答える。「ニィーニィー」の声とともにヤマガラが枝移りしてきた。男はミカンを食べながら顔も向けず「いくつ?」と聞く。数えて5羽です。と答えると、手帳を取り出した。
男は問わず語りに話した。野鳥の会を創設した…。当時の者は居なくなった…。畳屋をしているが・・。
何十年も鳥見を続けた男の匂い。飄々とした風貌。手帳には多分「ヤマガラ5」と書いたのだろう。単純なその行為に私は引き込まれた。完成された鳥見人を感じた。
写真を撮るだけだった私が記録を付け始めたのはこの男との出会いが大きい。その後出会った事はない。小柄な男だった。

□   □   □

大阪城公園の記録を付け始め、通い続けると顔見知りが増えた。どんな鳥が出ているか?と聞かれることも多くなった。そこで、見た鳥を知らせようと「大阪城公園鳥だより」の発行を始めた。
タイトルの由来は、携帯メールの現在では考えられないが、当時、神戸の向林さんから葉書で珍鳥情報をよく頂いた。その葉書が「鳥だより」だった。
「こんなん出ました」は、当時流行った占い師、泉アツノさんの言葉の「こんなんでましたけどー」からとったもの。
思い返せば15年よく続いたと自負している。大変だった時期は短いものも含め毎月数本の鳥原稿を書いていた。
年齢的にも仕事に忙殺され、自由になる時間を作るのに苦労する時期だった。職場の人間関係にも影響した。宴会などは時間の無駄!と言い切る亀岡市の遠山さんの言葉に共感した。
毎回発送するたびに十数通の文が届いた。鳥信だったりお礼だったり。叱咤激励の言葉にどれだけ励まされたことか。出会った方から「いつも楽しみにしてる」と声を掛けられることもよくあった。
稚拙な内容や文章にも暖かく応援いただいた皆さんのおかげで15年も続けられた。心から、本当に心から・・感謝している。「ありがとう」

□   □   □

これまで通り大阪城公園へ通い、記録を続けることは変わりません。WEB版「大阪城公園鳥だより」で再び会いましょう。

(2008年5月)

79号へリンク79号へ  このページのトップへ  81号へ81号へリンク