大阪城公園とカササギ
大阪城公園の南東端から出ると森之宮の交差点に出る。さらに交差点を南へ50メートルほど進むと西側に社が目に入るだろう。森之宮神社である。
うっかりすると見過ごすほど小さな神社だが、聖徳太子の父用明天皇と、母穴穂部間人皇后を神として祀った1400年の歴史をもつ由緒ある古社である。
正面には鵲森宮(かささぎもりのみや)とある。鳥好きには当然気になる。
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カササギは佐賀平野など、九州北西部の農村地帯に留鳥として生息する野鳥。
この地域では鳴き声からカチガラスとも呼ばれている。
豊臣秀吉の朝鮮出征の時に、佐賀藩鍋島直茂らが朝鮮から持ち帰ったとされる説がよく紹介され、知られている話だ。
しかし、確たる証拠となる文献などはないようだ。自然分布の可能性もある。生息地は天然記念物に指定されている。
一方、日本書紀(推古6年夏4月の条)には、それよりずっと以前、推古天皇の御代に難波の吉士磐金(きしいわかね・聖徳太子の命により新羅へ使者として渡った。鉄鋼業の祖)が新羅国(朝鮮)から帰ってきて、カササギ(俗に朝鮮鳥)2羽を献上したとある。
朝鮮半島ではカササギは瑞鳥として大切にされる鳥だ。
このカササギを、この森に飼わせたことから「鵲の森」と称し、後に宮の名となり、略して「森之宮」とも云うようになったそうだ。
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以前に本紙で若干ふれたことがあるが、今回あらためて訪ねてみた。
お参りを済ませ見上げると逞しい嘴をしたカササギの彫物2羽が向かい合っている。
ふと見ると「鵲橋の話」の張り紙が目に付いた。
境内には大伴家持の歌碑がある「鵲の渡せる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞ更けにける」
カササギが七夕の夜に牽牛星と織女星のために、天の川に架けると云われている伝説の橋。 七夕の夜にその羽を連ねて架け渡すそうだ。
カチガラスとの逞しい名前にかかわらず恋の取り持ちもするロマンチックな鳥でもある。
「鵲橋の話」には、実際に神社の東に天野川が流れ、明治まで「鵲橋」との橋が 残っていたとある。
そして、境内の歌碑と鵲森宮とのつながりを詳しく検証したもので興味深いものだ。
社務所に声をかけると「鵲橋の話」を記された方だろうか、奥方様らしき女性から丁寧に説明をいただいた。
関心がある方は探鳥の帰りに立寄ることをお勧めする。
それにしても、当時のカササギが順調に殖えていると、今頃大阪城はカササギの名所に。
ちょっとしたことに思いをめぐらせるひと時だった。
55号掲載(2002年10月)