ホームへリンク

大阪城公園鳥だよりって何にリンク読み物コーナースタッフからへリンク大阪城公園の野鳥へリンク大阪城公園探鳥案内へリンク大阪城公園の蝶へリンク大阪城公園の四季へリンクリンクページへリンク

読み物コーナータイトル

巻頭言へリンクゆきちゃんの探鳥絵日記にリンクれいこの落書きへリンク鳥バカ夫婦の二人言へリンク探鳥は楽し、探蝶も楽しにリンク


お便りコーナーへリンク

タイトル1 自己紹介へリンク

80th 〜今も昔も〜

読書の秋、芸術の秋、食欲の秋、スポ−ツの秋、そしてもちろん鳥見の秋、何をするにも良い季節になりました。この時期の大阪城公園はイベントが目白押し、特に今年は大阪城天守閣復興80周年記念も重なり例年以上に来城客も多いような…。響き渡る音楽やイベント進行の放送などゆっくり鳥見、とはいかないのが現状だ。
今回は学問の秋、としゃれ込み80年を迎えた大阪城公園の歴史に迫ってみた…が。

◇    ◇    ◇    ◇    ◇   

1924年(大正13年)大手口の正面に大手前公園として開園されたのが始まり、敷地面積はわずか2.3ha現在の約46分の1。その後、昭和天皇即位記念事業として天守閣再建と同時に第四師団司令部(現元博物館)を建設、本丸を含む9.6haを大阪城公園と名を改めた。1931(昭和6年)11月7日の事である。
天守閣再建の歴史については、難波の城でディスカバリー?第5話「シンボル〜天守閣の受難〜」をご覧ください。
天守閣復興事業で市民から集められた寄付金が当時の150万円、現在に換算すれば約75億円という巨額。使途の内訳は公園整備に約23万円、天守閣再建に約47万円、そして軍事施設である第四師団司令部建設になんと約80万円が費やされていたのだ。
天守閣が再建された1931年(昭和6年)は満州事変の年。当時日本は領土を広げるにあたり軍備強化をしていたとはいえ天守閣の復興を唱えながらその実は軍事拠点の建設が目的???
世界恐慌時、断腸の思いで寄付し天守閣の再建だけを望んでいた市民は少なくなかっただろう、そんな市民の思いは…。

天守閣再建から8年後第二次世界大戦勃発、その2年後には大日本帝国軍が真珠湾を攻撃し太平洋戦争開戦、世界中が戦火に包まれることになる。軍事施設を擁する大阪城公園は米国軍の空爆を受け多くの歴史的建造物を焼失することに。もし大阪城公園に軍事施設がなければ・・・。

◇    ◇    ◇    ◇    ◇   

天守閣復興事業の名の下に市民から寄付を募り、その5割以上を費やし建設された第四師団司令部。
血税を投じて大阪城公園内各所で行われる疑問符の付く工事、首を傾げたくなるような公園管理。
本末転倒とも思える資金の使い方、今の昔も変わりませんなぁ!

 

1回へリンク18回へ  このページのトップへ  20回へ2回へリンク